特集・ブレアウィッチ事件再び!!

こんにちは畑内です。
実は以前から特集しようと思っていた記事です。
皆さま、読者(主にホラーファンの皆様)は
このホラー映画の予告編を覚えているでしょうか?
このホラー映画は……今から20年前……。
アメリカのモンゴメリー大学映画学科に通う3人の学生、
女性監督のへザー、録音担当のマイク、
カメラ担当のジョンの3人の撮影クルーは。
メリーランド州のバーキッツヒルズのブラックヒルズの森へ向かった。
彼女達はその土地に残る伝説の魔女『ブレア・ウィッチ』の伝説を
題材にしたドキュメンタリーを撮影するためである。
しかし3人は付近の住民の取材を終え、
森の中を散策し始めてから……忽然と姿を消しました……。
もちろん捜索は行われたが何の手がかりもないまま捜索は打ち切られる……。
それから一年後、彼らが撮影したもの思われるビデオやフィルムが森の中の
実際では絶対にありえない場所から発見された。
これはのちに事件関係者や遺族の承諾得て、
フィルムやビデオを再構成され『ブレア・ウィッチプロジェクト』として映画化された。
このフィルムや映像には身の毛がよだつ恐ろしい
超常現象の数々が克明に記録されていた。
さらにその恐ろしい説明のつかない超常現象に恐怖と混乱、
パニックで慌てふためき、無謀な脱出を試みる
3人のクルーの8日間の行動が記録されていた。
 
そこでこの事件の背景のブレアウィッチ伝説のここで歴史を紹介しよう。
この伝説はワシントンDCから2時間のメリーランド
中央北部に位置する町『ブレア』で始まりました。
 
1785年2月。
何人かの子供が、家に連れて行かれて血を抜かれそう
になったとエリー・ケドワードを訴える。
魔女の疑いがかけられたケドワードは寒さがとりわけ
厳しかった冬に町から追われ、死んだものと思われた。
 
1786年11月。
冬の中頃までに、前年、エドワードを訴えた
人々全てと、町の子供達の半数が消息を絶つ。
呪いだと恐れたブレアの人々は町を捨て、
エリー・ケドワードの名前は二度と口にしないと誓った。
 
1809年11月。
『ブレア・ウィッチカルト』が出版される。
フィクションと言う事になっているこの珍しい本は
追放された魔女が街に呪いをかける話である。
 
1824年。
ブレアの街跡地にバーキッツヴィールの街ができる。
 
1825年8月。
東タビー川で遊んでいた10歳の少女アイリーン・トリークル
が川の中から出てきた青白い女性の手に引きずり込まれるのを11人が目撃。
彼女の遺体は二度と発見されなかった。
その後13日に渡って、川は泥まみれの枝の束で詰まってしまう。
 
1886年3月。
8歳の少女ロビン・ウィーヴァーが行方不明になり、捜索隊が出動する。
ウィーヴァーは生還するものの、捜索隊の一つが足らず、何週間にも渡って
コフィンロック(棺石)にて、手足を互いに違いに縛り合わされ、
全ての内臓が抉り出された惨殺死体で発見される。
 
1940年11月~1941年5月。
エミリーホーランズを初め7人の子供たちが
メリーランド州バーキッツヴィル周辺で誘拐される。
 
1941年5月25日。
森で隠居生活を送っていたラスティン・パーが町の
マーケットを訪れ『遂にやり遂げた』と告げる。
4時間をかけ、彼の森に行った警察は行方不明になっていた
7人の子供達の異界を地下室で発見。
一人一人儀式めいたやり方で殺され、内臓が抉り出されていた。
パーは細部に至るまで全ての犯行を認め、家近くの森に住む
老婆の幽霊(ブレア・ウィッチか?)の為にやったと供述。
パーはすぐに死刑判決が下され、絞首刑となった。
 
1994年10月20日。
モンゴメリー・カレッジ在籍の3人の学生、
へザー・ドナビュー、ジョシュア・レナード、
マイケル・ウィリアムズがカレッジの課題の為、
バーキッツビルを訪れブレア・ウィッチ伝説について取材を開始。
そして昔からこの地域に住んでいた人々のインタビューの後に
ブラックヒルズの森に入り、その後、謎の怪奇現象に見舞われた後、失踪する。
少なくとも1994年の10月21日以降、3人の姿は目撃されていない。
 
これが1785年~1994年までのブレア・ウィッチ伝説のあらましである。
 
1994年のモンゴメリーの学生3人の失踪以降は。
 
1994年10月25日に初めて全部署の警察の緊急連絡令が出される。
後ほどブラックロック・ロードに停められたジョシュアの車が発見されている。
それから10月の26日。
メリーランド州警察がブラックヒルズ地域の捜索を開始する。
救助犬を伴った捜索隊100人、ヘリコプター、
そして米国・国防省の衛星まで使った捜索が10日間に及ぶ。
 
1994年11月5日。
33000時間を費やしたものの、3人の学生の所持品すら発見されず、捜索終了。
へザーの母親のアンジは娘達を自ら探すべく血の滲むような個人捜査を始める。
 
1995年6月19日には
事件の発展性と解決の見込み無しと発表される。
 
1995年10月18日。
メリーランド大学人類学専攻の学生達が、
人里離れたキャビンの土台の下に埋まっていた
ダッフルバッグの中からフィルム缶、ビデオテープ、
HBビデオカメラ、ヘザーの日記、CP-16フィルムカメラが発見される。
これらの遺留品の検査の結果、モノクロフィルム11本、
Hiー8ビデオテープ、10本がヘザー達の所有物だと
バーキッッヴィルの保安官のロン・クレイブスが発表する。
 
その後は1995年12月18日にダブルバックの
初期捜査を終えた警察がセレクトしたフィルムの一部を遺族に公開しました。
しかし不可解な出来事は映ってはいるが手掛かりになる映像はない。
と警察関係者は述べたのに対し、遺族たちは警察の証拠の
分析の不十分さを疑い、更なる映像を要求しました。
 
1996年2月19日。
警察が狂言と判断した2つ目の映像が遺族に公開される。
それに対し遺族は不信感を表明し、それに対し、
クレイヴン保安官は証拠への一切のアクセスを凍結し、
遺族側は控訴を二つ起こすも敗訴してしまいます。
 
1996年3月1日に保安官の事務所が証拠として不十分であり、
事件の進展性及び解決の見込みなしと発表。
 
凍結した証拠品は効力が切れる1997年10月16日に
ヘザー、ジョシュア、レナードの学生達の最後に日々の
映像がそれぞれ3人の遺族達に返還される。
その後、アンジー・ドナヒューがハクサン・フィルムにコンタクトを取り、
フィルムを検証し、1996年10月20~28日までに
起こった出来事をまとめ上げるよう依頼される。
フィルムやビデオを再構成され『ブレア・ウィッチプロジェクト』として映画化される。
 
『ブレア・ウィッチプロジェクト』として映画公開されてから20年後の……2016年。
ブレア・ウィッチを題材にしたドキュメンタリー撮影の為、
ブラックヒルズの森を訪れたまま消息を絶ったヘザー達。
ヘザーの弟のジェームズは動画投稿サイト『YOUTUBE』で
姉のヘザーらしき人物が映った映像を見つける。
そこで姉のへザーを救う為、そしてブレア・ウィッチの謎を解く為、
仲間達と共にブラックヒルズの森に踏み込む。
そこでまたブレア・ウィッチの恐怖に出会う事に……。
 
ちなみのこの映画は実はモッキュメンタリーです。
『ブレア・ウィッチ』の伝説も映画制作者がうまく
現実の存在するかのように作り込んだ架空の伝説です。
 
このホラー映画・ブレアウィッチプロジェクトは
994年に6万ドルと言う超低予算で制作されながら、
世界復興収入2億4,800万ドルと言う記録を叩き出し、
世界中で大ブームを巻き起こした伝説のホラー映画です。
さらにPOV(主観手法)を確立させ、
モッキュメンタリーホラーの元祖として様々な亜流作品が制作されました。
主な亜流作品は以下の通り↓
RECシリーズ。
パラノーマル・アクティビィティシリーズ
グレイグ・エンカウンターシリーズ等
 
今回はこのブレア・ウィッチプロジェクトの正統続編と言う事で
監督は『サプライズ』と『ザ・ゲスト』等の
サスペンススリラーで注目されているアダム・ウィンガード
最近ではハリッド版のデスノートの監督にも抜擢された新人監督です。
オリジナルで感じた息がかかる世にも恐ろしい映像の臨場感そのままに
現在の最新テクノロジーを駆使し、映画史上最も恐ろしい物語を製作するそうです。
 
ブレア・ウィッチ(公式サイト)
映画公開は12月1日です。
 
ブレア・ウィッチ予告編その1。
 
 
ブレア・ウィッチ予告編2
 
これから公開が楽しみです。
しかし最近は一緒にホラー映画を映画館で鑑賞しようという
勇気のある人間がなかなか身の回りにいないのです……。
母親はもちろんですが。
職場の同僚や職員達もかなり怖がりなので全く付いてきてくれません…・・・。
怖い話すら駄目な全く男らしくない同僚もいるし……。
それが最近の私の悩みなのです。
うーん!誰かいないのだろうか?
凄まじい恐怖とパニックに耐えられる精神強い者はいないのだろうか?
まあ、あの職場の同僚達は皆怖がりなので無理だろうなぁ。
それでもこの映画は見に行きたいです。
とりあえずホラー映画に耐性のある方を募集してみるか?
うー悩ましいですな……
 
ではでは♪♪