(第25章)業火

 
 
(第25章)業火
 
ジルの隠れ家の倉庫の外の誰も使われていない駐車場。
「ねえ?あれでよかったの?」
モイラは隠れ家になっている広い駐車場の周囲の高いフェンスや壁。
倉庫の屋根にある電波塔の壁に結界を発生させるお札を
黙々と張る作業を続けている鋼牙に向かってモイラが質問した。
「必要な事なんだ!今後!彼女にはな!」
「どーしてなのさー」
「詳しくは言えん!」
「そーなのかー、って!また秘密?多過ぎるよ!」
「多過ぎる方が他人を危険に巻き込まなくて済み、あんたも生きられる!」
「それって?どういう意味?」
「そのままの意味さ!……んっ?」
鋼牙は電波塔の屋根の上からさほど遠くない距離から
真っ黒な煙が上がっているのが見えた。
「あれは?火事か?」
へっ?とした表情でモイラは鋼牙が見ている方角を見た。
確かに青空と白い雲の隙間からモクモク
黒い煙が上がっているのが見えた。
「まっ!さか?火事?」
「なんか胸騒ぎがする!」
鋼牙は電波塔からジャンプし、近くの空き家の屋根の上に着地しては飛んで、
次の空き家の屋根の上に着地をと何十回を繰り返し、
真っ黒な煙が上がっている現場に急行した。
モイラも慌てて立ち上がり、鋼牙の後を追った。
「えーっ!ちょっとまって!マズイよ!人が多いんだよ!」
彼女は息を切らせ、全速力で屋根を飛び、
移動する鋼牙を必死に追いかけた。
「あーっ。もーっ!早いいつーの!サイアクだ!」
モイラはつい父親の口癖を大声で言ってしまった。
しかし鋼牙は一切気にする事無くどんどん先へ進んで行った。
やがて真っ黒な煙が上がっていた現場に到着した。
そこで鋼牙とモイラが見たのは?
 
2階建ての民家が真っ赤な業火に包まれていた。
周囲にはパチパチとオレンジ色の
小さな炎から大量の火花が飛び散っていた。
鋼牙が2階を見ると業火に追い詰められ、
恐怖の余り泣き叫んでいる幼い子供が見えた。
周囲の大人達は子供を助けようと民家に入ろうとするが。
業火となった炎が強く入口のドアから噴き出し、近づけそうになかった。
やがて住民の通報で消防隊とレスキュー隊が駆けつけた。
しかし消防隊の消火活動をもってしても
民家の炎の周りは早く強く、抑えられなかった。
ますます炎と黒い煙は大きくなり、
民家の大部分が灰化しており、建物は倒壊寸前だった。
正に絶体絶命!
だが一人の男が勇敢にも立ち上がった。
「俺が行く!」
一言だけそう言うと消防隊が止める間も無く、
鋼牙は業火に包まれた民家の入口に躊躇せず飛び込んだ。
彼の姿はあっという間に炎と煙の中に消えた。
「ちょっと!早っ!なんて人だ!」
消防隊員は信じられない表情をした。
 
業火に包まれた民家はあらゆる壁、
天井、床を焼き尽くし、足の踏み場もなかった。
流石の鋼牙も慎重に進まなければならなかった。
「おいおい。何も考えずに入っちまったが」
「大丈夫だ!魔導衣がある!」
「御自慢の髪の毛には気お付けろ!鋼牙!」
「余計な御世話だ!」
鋼牙とザルバはいつもの調子で会話した。
彼は無言で先へ進み続けた。
そして子供部屋の扉を蹴破り、中へ入った。
子供部屋の周囲は正に火の海の有様だった。
泣き叫んでいた子供は子供部屋の中央の床にぺたりと座っていた。
「もう!大丈夫だ!」
鋼牙は泣き叫んでいる子供を両腕で抱きしめて持ち上げた。
その瞬間、足元が大きくぐらついた。
「マズイ!崩れるぞ!」
やがて子供部屋の外の天井が落下し、入口を塞いだ。
更に悪い事に目の前のベランダも先程、燃え尽きて落下していた。
「止む負えまい!」
「まて!ここで鎧の召喚は!こんな日中に!」
「逃げる時間など無いッ!」
鋼牙は両瞼を閉じ、念じた。
やがてキィーンと言う甲高い金属音と共に
鋼牙の頭上に円形の裂け目が現われた。
 
一方、燃え盛る民家の外には。
大勢の現場近くの近所の人々、レスキュー隊、消防隊が黙って
今にも崩れ落ちそうな民家を見てハラハラしていた。
とうとう燃え盛る民家はガラガラ
と大きな音を立ててあっと言う間に崩れ落ちた。
モイラも「ああ、サイアクだ」とつぶやいた。
大勢の現場近くの近所の人々の内、女性はヒステリックな叫び声を上げ、
男性は「助けろ!」と怒号をレスキュー隊に
浴びせかけ、別の女性は泣き崩れ、
レスキュー隊も消防隊も大半が
目の前の出来事に信じられず茫然としていた。
「もう!死んだ!」と悲観に暮れる人々もいた。
だがいきなり一人の若いレスキュー隊が崩れて灰化した
民家の瓦礫の山が黄金に輝いている事に気づき、叫んだ。
「おい!なんか!光っているぞ!」
若いレスキュー隊の声に大勢の現場近くの住民もモイラも
レスキュー隊も消防隊も全員、
突然黄金に輝いた民家の瓦礫の山に注目した。
更に信じられない事に徐々に灰化した瓦礫の山は急激に膨張して行った。
次の瞬間、凄まじい爆発音がした。
灰化した瓦礫の山は全て粉々になり、完全に消滅した。
まるで『死』と『絶望』を消し去るかのように。
続けて黄金の風が吹きすさび、瞬時に凄まじい業火を消し去った。
現場近くの住民もレスキュー隊も消防隊も
ただただ茫然とその様子を見ていた。
誰一人言葉を発しなかった。モイラも。
業火が消え、灰化した瓦礫が消え、
円形のクレーターの様になった現場には。
信じられない物が立っていた。
「なんだ?この鎧は?」
業火の炎で燃え盛り、崩れ、消滅した民家の現場には。
狼を象った黄金の鎧を纏った冴島鋼牙がいた。
黄金騎士ガロの鎧は太陽光に反射し、キラキラと煌びやかに輝いていた。
しかも鎧は彫刻の様に繊細で美しい完璧な造形だった。
黄金騎士ガロは歩き始めた。
歩く度に重厚な金属音が周囲の冷たい空気を震わせた。
そして現場近くの住民もレスキュー隊も消防隊も緑色に輝く眼光の向こうに
幼い子供を必ず助け出すと言う決意に満ちた
男の射る様な眼を見た気がした。
やがて頭上に円形の裂け目が現われ、再び黄金の光が鋼牙の全身を包んだ。
そして黄金騎士ガロの鎧は円形の裂け目に吸い込まれ、消えた。
目の前には白いコートを着た冴島鋼牙が立っていた。
更に両手には安心しきり、
疲れて眠っている子供がしっかりと抱きしめられていた。
鋼牙により、救い出された子供はレスキュー隊により、
軽い火傷と少し灰を被った程度で命に別条は無かった。
しかも鋼牙自身は無傷だった。
正に奇跡の救出劇だった。
子供をレスキュー隊に渡した後、バサッと白いコートを翻した。
鋼牙は何処かに歩き去ろうとした。
レスキュー隊の一人がこう尋ねた。
「貴方のお名前は?」
しかし振り向かずに鋼牙はこう答えた。
「名乗る程の者では無い」
鋼牙は堂々と早足で歩き、あっと言う間に姿を消した。
大勢の現場近くの住民、レスキュー隊、消防隊はまだ目の前で起こった
出来事が信じられないまま、ただ全員、
黙って早足で歩き去る鋼牙の背中を見送った。
その間を縫ってモイラも周囲の人々に
見つからない様に鋼牙の後を付いて行った。
 
(第26章に続く)