(第40章)創聖(前編)

(第40章)創聖(前編)
 
マンハッタンのセントラルパーク。
鋼牙とザルバが対応に苦心している間、ジルは必死に急速に
低下する意識を食い止めようと歯を食いしばって耐え続けていた。
未だに脳幹に甲高い耳鳴りと鋭い痛みが続いていた。
やがてジルの意識は徐々に低下して行った。
徐々に瞼が重くなった。
頭の中では一万人の人間のしゃべる声と
悲鳴と叫び声が大合唱の様に聞こえ続けた。
その時、またはっきりと女の子の声が聞えて来た。
「ママ!しっかりして!助けて!助けて!」
ジルは再び意識を取り戻した。
同時に暗くなりかけた視界もはっきりとしてきた。
ソフィア・マーカーは頭上のオレンジ色の脳に浮かぶ、
多数の人の顔を楽しそうに見ていた。
しかし急にソフィア・マーカーは苦しそうに顔を歪めた。
ソフィア・マーカーが下腹部を見ると真っ赤に輝く賢者の石が見えた。
「うっ!くそっ!邪魔をするな!ちゃんと動くのじゃ!」
「そうか!あれだ!あれが電源なんだ!
しかも間違いない!名も無き一人娘の魂と肉体の宿った賢者の石だ!」
「つまり?あれを取り出せば?機能が停止するのか?」
「鋼牙、ザルバ!ちゃんと見えているわ!」
ジルはフラフラとおぼつかない足取りで立ち上がった。
ソフィアは両手で下腹部を強く抑えつけた。
「我の体内でまだ抵抗するか?無駄じゃ!お前は!」
ジルは青い瞳でソフィア・マーカーの頭上に
浮かんでいる大きなオレンジ色の脳を見た。
するとオレンジ色に輝く脳の表面の一万人もの人間の顔がまるで
ハチの巣を突いた様にやかましく甲高い絶叫を上げた。
続けてそれぞれ苦しみ、怒り、悲しみ、憎しみの感情を露わにした。
また口々にこう叫び続けた。
「ジョン!なんで来てくれないの!」「死んだのよ!」
「この野郎!アバズレ!」「ぶっ殺してやる!」
「揉めている場合じゃないわ!早く脱出しないと!」
「うるさい!黙れ!」「脱出するのはあたしよ!」
「違うわ!あたしなのよ!」「ふざけんなクソ野郎!」
「言ったわね!豚野郎!」「お願い争わないで!」
「明日会議に行けないのはあんた達のせいよ!」
「このバカ!」「死ね!」「殺してやる!」
「やれるものならやってみなさいよ!豚!」
同時にオレンジ色の光はより激しく輝き始めた。
一方、モイラは完全に怯え切った表情を浮かべた。
さらにすすり泣き、全身をただ雨に濡れた子犬のように震わせ続けた。
しかも彼女は精神的ショックの余り完全に無口になっていた。
「ジル!歌え!守りし者として!あの子を!皆を救うんだ!」
「急げ!奴が人間界と真魔界に通じる
ゲートを開けたら!俺達に勝ち目はない!」
「もちろんよ!」
ジルは両脚で力強く公園の地面を踏みしめた。
そして両腕を大きく広げた。
本当にうまくいくのか?正直、不安だった。
でも!あたしがやらないと!この悪夢は終わらない!
必ず!あたしは!あの子を!皆を守り抜いて見せる!守りし者として!
ジルは澄んだ声で歌い始めた。
ジルの歌声はソフィア・マーカーの手によって
統合された一万人の人間の女性達の醜い本性を
剥き出しにした怒り、苦しみ、悲しみ、
悪意に満ちた言葉さえも切り裂き、夜空の空気を震わせた。
その瞬間、ソフィア・マーカーは再び酷く顔を歪めた。
「なんじゃ?この歌は?」
ソフィアは両耳を塞ぎ、叫んだ。
「止めろ!止めろ!こんな歌を歌うな!ぐああああっ!」
鋼牙とザルバは再びソフィアの下腹部を見た。
ソフィアの下腹部にある賢者の石はまるで
ジルの歌声のテンポに合わせ、共鳴し、何度も真っ赤に点滅した。
「反応しているぞ!」
「その調子だ!」
モイラはジルの歌声が脳裏に聞こえて来た。
これは?『創聖のアクエリオン』?でも?なんで?
これが!そうか!鋼牙とザルバが言っていた!
モイラは自然に両手を離し、ジルの歌声を聴いた。
彼女の心の中に渦巻いていた名状し難い冒涜的な恐怖も
死の絶望も浄化されるように消えて行った。
またオレンジ色に輝く脳の表面に浮かんでいた一万人の
女性達もまたモイラと同じように苦しみ、怒り、
憎しみの感情は静まり、醜い心も消えて行った。
「これはなに?」「アニメの曲?」「何て綺麗なの!」
「誰?歌っているの?」「凄く心地いいわ!」
「ジル!ジル!貴方なのね!」「ジルって言うの?」
「誰?歌手なの?」「もう!怒りもどうでも良くなって来た!」
ソフィアは次第にオレンジ色に輝く脳の機能が急激に
低下している事に気付き、怒りの声を上げた。
「おのれ!邪魔をする気か?我を産んだ!母親の癖に!」
ソフィアは再び、下腹部を強く両手で押さえつけた。
だが下腹部にある賢者の石はジルの歌声に
合わせてまだ真っ赤に点滅し続けた。
しかもその点滅する真っ赤な光は次第に強くなって来た。
ジルは「自分を愛し、幸せにしようとしたドラキュラ伯爵と!愛する娘!
そして一万人の女性達を救い出したい!」
ただそれだけの為に純粋に歌い続けた。
ソフィアは苦悶に満ちた表情を浮かべた。
更にソフィアは両手で今にも飛び出して
来そうな賢者の石を無理矢理押さえ込もうとした。
「出るな!我は!帰らねばならない!我は!」
同時に下腹部の賢者の石は今にも皮膚を突き破り、
飛び出しそうな勢いで前へと大きく突き出ていた。
賢者の石はジルの歌声に合わせて点滅し続けた。
ソフィアの身体は次第にエビ反りに成って行った。
「ぎゃあああああん!うおおおおおん!」
ソフィアは凄まじい激痛で大きく獣のように咆哮した。
「もう少しだ!」
「ふんばれ!ジル!」
モイラはただ両手を握りしめ、ただ祈り続けた。
あたしは神様なんか信じちゃ居ないけど!もし?いるのなら!
ジルに力を貸して下さい!お願いします!
暫くしてジルの身体があのモイラと同様に青緑色に輝き始めた。
やがてソフィアは忌々しくも冒涜的な甲高い絶叫を上げた。
同時に彼女の下腹部が十字に大きく裂けた。
そして十字に裂けた下腹部から真っ赤に輝く円形の賢者の石が飛び出した。
かと思うと高速でジルの下腹部に飛び込んだ。
ジルは下腹部に強い衝撃が走るのを感じた。
しかし彼女は歌うのを止めなかった。
まだオレンジ色に輝く脳内に一万人の
人間の女性の意識が閉じ込められている。
だから早く!彼女達を助けなければいけない!
その為にジルは歌い続けた。
するとジルの下腹部に飛び込んで来た
賢者の石から名も無き娘の声が聞えて来た。
「あたしも歌ってあげる!」
やがてジルの下腹部からあの美しい歌声が聞えて来た。
それはジルと名も無き娘の声が重なり合い、美しいハーモ二ーとなった。
次第にそのジルと名も無き娘の歌声は夜空の空気のみならず
時空も空間も震わせ、世界中や究極の門にまで広がって行った。
 
(第41章に続く)