(第5章)生と死と。

(第5章)生と死と。
 
ジル・バレンタインの自宅はニューヨークにあるごく普通の2階建ての家だった。
そして家の中にある大きなリビングには毛布が敷かれていた。
更にその毛布の上には黒い毛の大きな老犬がゴロンと寝ていた。
黒い毛の大きな老犬の名前はラモーヌ。
既に茶色の両目は白色に濁り、全身は力無く、
長い黒い逞しい四肢は毛布の上にダラリと伸びていた。
それでも黒い毛に覆われた筋肉質なお腹は上下にまだ動いていた。
しかし残念ながらもうこの老犬の生命は長くは無い。
いや、後もう少しで終わろうとしていた。
その隣で心配そうに見ている女の子がいた。
ジルの娘のトリ二ティである。
その隣にジルの父親がいた。
ジルの父親は心配そうにその愛犬を見ていた。
そして老犬が少し苦しそうに両足を前後に
動かす度に何度も優しく、黒い分厚い毛を撫でていた。
やがてプリンはあぐっ!あぐっ!と何度も大きく口を開けた。
「ラモーヌ!」
ジルの父親は大きく声を上げた。
トリニティは何度も何度もプリンの分厚い黒い毛を撫で続けた。
だが……やがてラモーヌは両目をうつろにし、口をダラリと半開きにした。
トリニティはジルの父親が動くよりも早く小さな上半身を曲げた。
そして黒い毛に覆われた筋肉質なお腹を見た。
既にお腹の上下に動いていなかった。
更に自分の耳を黒い毛に覆われた筋肉質な胸と口元に近付けた。
呼吸音も心臓の音も全く聞こえない。
「………………………死んだのね……」
トリニティは3歳児とは思えないほど冷静にそう言った。
その時、トリニティの脳裏に別の女の子の声がした。
「ねえ、トリニティ!ラモーヌちゃんは!!どうなったの??」
その女の子の声に呼応するようにトリティはこう言った。
「多分……死んだ……」
「えっ…嘘……まだ会ったばかりなのよ!こんなのって……ねえ!」
「頭の中でうるさいわよ!あたしのもう一人に人格のアリス!
この世界で生きる者は必ず最後は死ぬの!それが自然の摂理よ!
「そんなの!分からないよ!分からないよ!ねえ!」
「もう無駄よ!このラモーヌとやらの老犬は空っぽの肉体!
既に魂はそこには無い!いい??ラモーヌは死んだのよ!」
しばらくしてトリニティは静かにこう言った。
「代わってあげる!」
やがてトリニティの身体が赤く発光した。
同時にトリニティとは別の人格のアリスに切り替わった。
「うわあああああああああん!ラモーヌちゃんんんんんっ!」
アリスは大声で泣き出した。
両目からは滝の様に大粒の涙がこぼれ続けた。
そして滝の様に流れ出た大粒の涙は先程死んだ為、
まだ温かい老犬ラモーヌの身体にポタポタと垂れ続けた。
その老犬ラモーヌの傍で泣き続けるアリスをジルの父はそっと抱き締めた。
ジルの父親も一筋の涙を流し、微かに鼻を啜った。
「大丈夫!ちゃんと天国に行ったんだ……」
「そう?なの・・・…でも……ひっくひっく!寂しいよぉ……」
アリスはジルの父親の胸で泣き続けた。
その時、アリスの脳裏に先程の別の人格のトリニティの声がした。
「もう……ラモーヌは戻って来ない……アリス!しっかり気を持ちなさい!」
「無理だよぉっ!」
「全く……呆れたものね。」
それからアリスの脳裏に聞こえていた別の人格のトリニティの声は止んだ。
「おじさん!いつか……あたしもおじさんもラモーヌの様に死んじゃうの?」
「ああ、いつかはね……」
もう一人のあたし、トリニティが言っていたの……。
この世界で生きる者は必ず最後は死ぬ!それが自然の摂理なの?
「ああ、そうだね……」
ジルの父親は青い瞳でアリスの泣き続けている顔を見た。
「だから!おじさんもアリスもトリニティもこれから精一杯、
ラモーヌの分まで元気に健康に生きなきゃ駄目だよ。」
「あたし達も生命に限りがあるの?長生きできないの?」
「長生きは難しいね。この世界に生きる昆虫も植物も
動物も僕達人間も生命は短く限られているんだ。
だからこそ悔いの無いように一日一日大切に時間を……過ごさないとね……」
ジルの父親はまた泣きそうになり、言葉が詰まった。
「うん!分かった!おじさん!
あたしもトリニティも一日一日時間を大切に過ごす!
それでラモーヌの分までこれからも最後の時まで生きて行くよ!」
アリスは両手で泣き腫らした顔を拭うと精一杯の笑顔を見せた。
しかしアリスの脳裏にトリニティが「フン」と鼻を鳴らす音が聞こえていた。
一方ジルの父親はホッと安堵した表情になった。
 
(END)