(第30章)母性

(第30章)母性
 
マンハッタンにある日本の製薬企業『御月製薬』の北米支部
地下深くにある極秘研究所『ハイブ』の実験室内にある診察室。
マルセロは自分の手記にウィルスと細菌についての文章を書いた後、
次のページを開いた。
そして再びボールペンで別の話題を書き始めた。
「STPシステムについて。謎のシステム。
恐らくソフィア・マーカー様とドラキュラ伯爵様が創造したと思われる。
取り込まれた人間は20代、30代、
50代の成人女性で約500人が確認されている。
その中に私が勤務する聖ミカエル病院の看護婦達も含まれる。
そして全員、彼女達の全身の細胞内にある賢者の石は休眠状態にある。
故に取り込まれたと言っても。
STPシステムの機能はオフの状態になっていると考えられる。
私は最初にSTPシステムに取り込まれたジル・バレンタイン
の賢者の石の力を目覚めさせ、システムを起動させた。
しかし彼女は失踪し、仲間のパズズを封印する事で
システムの接続を絶った。
またSTPシステムに取り込まれた者は共通して現実世界
もしくは精神世界(主に夢)
で真っ黒な縞模様の服を着た少女の幻影に遭遇している。
人間に限り無く近い、新種のホラーの創造か?とも考えた。
しかし私は大事な事に気付いた。
そもそもソフィア様は人間界から真魔界にどうやって行くつもりか?
我々、魔獣ホラーは陰我のあるオブジェに発生するゲートを通る。
ゲートは何処に?もしや?STPシステムはー。
人間界と真魔界を繋げるゲート?
つまり大勢の人間と魔獣ホラーの精神と肉体が必要なのか?
またわし(と恐らくジルも)が感じた脳幹への鋭い痛みと激しい耳鳴り。
全身の急激な発熱。全身の筋肉が引き裂かれる様な痛みも。
全てゲートの創造と何か関係があるのだろうか?
彼女は一体何を考えているのだろう?」
マルセロは手記を閉じ、ボールペンをディスクの上に置いた。
その時、グーと大きくお腹が鳴った。
マルセロは苦笑いを浮かべると両手でお腹を押さえた。
「ウィルス検査を終えて、
外出許可が出たから久々に外食でもするかのう。」
マルセロは椅子から立ち上がり、邪悪な笑みを浮かべた。
 
数時間後。日本の製薬企業『御月製薬』
北米支部からさほど遠くない真夜中の
マンハッタンの裏通りの狭い道でマルセロは白いTシャツに
黄色の短パンを履いた男に遭遇し、数分も立たない内に口論となった。
「てめえ!クソジジイ!殴り殺してやろうか?ああっ!」
「暴葉に暴力。お年寄りには優しく出来ないのかね?」
マルセロ・タワノビッチは呆れた顔になった。
黒いTシャツと灰色の短パンの男は口から唾を飛ばした。
「野郎!ぶっ殺してやる!」
白いTシャツと黄色の短パンの男は拳を振り上げた。
マルセロはその男の凄まじい怒鳴り声にも平常心を保ち続けた。
マルセロは彼の腕に彫られた刺青を見た。
「君はトムと言う名前なのか?」
「何だと!偉そうな口をききやがって!」
トムはまた凄まじい声で怒鳴った。
次の瞬間、マルセロは獣の咆哮を上げた。
「キシャアアアアアアアッ!」
トムはマルセロの口から放たれた獣の咆哮を目の前で聞き、動揺した。
「おいっ!なんだ?今のはトリックか?」
しかしトムの顔から血の気が引いた。
同時に青ざめた表情のまま苦悶に満ちた表情となった。
「うっ!ぐあっ!なんだ!熱い!痛い!苦しい!」
トムの顔面が真っ黒な墨に変色した。
更にマルセロの大きく開けた口の中に徐々に吸い込まれて行った。
しかも黒い墨に鳴ったのは顔面に留まらず、茶髪の頭部。
両肩、筋肉隆々の胴体、太い両腕、両脚、両手足の爪先に至るまで
黒い墨に変わり、マルセロの口の中に吸い込まれて行った。
「ぐああああああああっ!」
トムは断末魔の悲鳴を上げた。
数時間後、マルセロが去った後、コンクリートの床には
彼が生前着ていた白いTシャツと黄色の短パンが
黒い墨で汚れきった状態で無造作に転がっていた。
 
翌朝。
ジルの隠れ家のジルのベッドの上で
目覚めたクレアは暫く呆然と周囲を見ていた。
やがてここが自分の家では無く
ジルの隠れ家にいる事に気づくとハッと声を上げた。
「えっ?なんで?ジルの隠れ家に??」
クレアは訳が分からずただ動揺していた。
「確か……家で寝ていて……それで……何故か鳥の頭を見て……。
それで白い閃光に包まれて……それで……白いワンピース姿のままを見た。
少しお話をして……扉が閉まって……」
「ようやく目覚めたわね。大人のクレアさん」
ジルが現われた。
「ジッ!ジルッ!なっ!どうして?あたしは此処に?あれ?今日は何日?」
クレアは昨日の丸一日の記憶がごっそりとない事に気づき、
顔が蒼くなって行った。
「まあまあ,落ち着きなさいな」
ジルは少しだけ意地悪な笑みを見せた。
「今日は貴方の大事な国連会議の日、でも、大丈夫よ!
準備はモイラとアイザックって人が協力して進めていたから。
貴方は会議に始まる前の昼の12時頃に
間に合う様に来る事になるから何も心配ないわ」
「えっ?でも……一体?あたしの身に何が……」
ジルは2日前の出来事から順に説明した。
それによると鳥型の魔獣ホラー・姑獲鳥がクレアの家に侵入した事。
ザルバがホラーの気配を察知し、鋼牙がクレアの家に駆け付ける頃には。
姑獲鳥はクレアにガフの部屋を開ける術を掛けて。
クレアは成人から赤ちゃんにされた事。
それから次の日には彼女の記憶がスッパ抜かれた
丸一日をジルが面倒を見ていた事。
「赤ちゃんになったあたしを??貴方が???」
クレアは急に顔を真っ赤にした。
「そうよ!ちゃんと世話したわよ」
「ああっ!ああっ!貴方が?えええっ?ええっ?」
クレアは顔を真っ赤にしてただ茫然とジルを見ていた。
「そうそう!凄く愛らしくて可愛かったわよ!」
「あっ!あばばばばばばばばばばっ!」
クレアは動揺の余り、意味不明な言語になった。
それから昨日の夜、ジルが姑獲鳥を封印した事で。
彼女のガフの部屋を開ける術が解けたので。
再び赤ちゃんから成人に戻ったと言う事。
そして翌朝の現在に至っている事を説明した。
「あたしの身でそんな事があったなんて……」
クレアは未だに信じられない表情をしていた。
だがふと自分の母と話している間。
まるで下界を覗き見る天使のようにクレアと自分の母は
自分そっくりの赤ちゃんを世話するジル
を見た事をはっきりと思い出した。
その時のジルはまるで我が子を可愛がる母親の様に哺乳瓶でミルクを飲む、
自分そっくりの赤ちゃんの姿をずっと見ていたのが印象に残っていた。
「貴方……ママみたいだった……」
「えっ?」
ジルは急なクレアの声に少し驚いた。
クレアは照れ隠しする様に笑った。
ジルはクレアの言葉の深い意味を理解した。
「そう、よかったわ。正直、子育てには自信が無かったから……」
ジルは少し寂しそうに顔をうつむいた。
「そう、でも凄く愛情注いでいる。貴方は……本当のママだった」
クレアはジルに近づき、クンクンと彼女の身体の匂いを嗅いだ。
「えっ?ちょっと?なに?」
ジルは顔を真っ赤にして、驚いた。
「やっぱり!貴方!ママの匂いがするわ!」
「ええええええええっ!」
「あら?びっくりしちゃった?」
クレアは意地悪な笑みをジルに向けた。
ジルは肩の力が抜け、軽く「ハハハハハッ」と笑った。
 
(第31章に続く)