お休みなので気まぐれのオカルト的なお勉強会

こんにちは畑内です。
今回は気まぐれの勉強会をします。
一応、かなりまじめな話です。

「現代の世界観」
18世紀頃から人々に浸透して行った唯物主義は
人々の生活の考え方も変えて行った。
感覚にとらえられる物のみを認める唯物主義はそれまで
宗教的な理由でまたは伝統によって、人々が純粋に
信じてきたものに疑いを向け、思考の光に照らし、迷信と事実に分けて行った。
宗教や伝統に囚われない思考は人々を自由にし、科学を発展させた。
テクノロジーは向上し、人々はお互いに平等を求めた。
他方、唯物主義の生命機械論は人生の意味を失わせ、
大量の動物実験を生み出した。
また死んでも何も残らないと言う世界観は享楽主義や虚無主義に陥らせた。
大規模な国土改良等の計画で自然災害を招く要因になった。

科学技術の発達と同時に広がっていった資本主義も

同じように世界に変化を与えた。
競争によって利益を求め続けるやり方は人生観や
社会の在り方に影響を与え続けたばかりではなく
欲望に働きかけた為、環境破壊やモラル低下を招いた。
唯物主義は社会主義に結びついていたが今では
資本主義と結びつき人々の世界の基礎となっている。
ここでは神霊や悪魔は空想の産物となり、
祈りのような行いは奇妙なものと捉えている。

(悪魔はこの2018年の現代世界に存在するか?
仮に存在するとして我々、人間達にどのような影響を与え続けているのか?)

そう悪魔と聞けば様々あるが、現代の社会に照らし合わせて見て
示唆的なものは両極端の傾向を持つ2種類の悪魔である。
新約聖書では毎度お馴染みの名前「サタン」。
もう一種は日本人には余り馴染みのない名前だが
ディアボロス」と言う2種類の悪魔に区別できるようだ。
前者(サタン)は攻撃、不安、恐怖、理論、地上的物質主義な事、
貯蔵、他人に金を一銭もやらない等のケチ、死、虚言に関わり男性的である。
一方後者(ディアボロス)は幻想、傲慢、美術、天上的、
浪費、熱狂、生命、誘惑に関わり、女性的である。
どちらも両極端を表しており、人間はどちら側に傾いても健全では生きられない。
同様に両極から全く離れようとするのも不健全である。
どちらかと言えばサタンである。
ただしゲーテの時代にはこの悪魔の区別は失われていた。
老年のファウストが求めていたのはディアボロス的な生き方だった。
現代社会を振り返ってみると至る所にサタン的なが見られる。
唯物主義とそれに基づく科学、また資本主義な社会が
サタン的な性格を持っているからである。
引きこもりやドラッグ、アルコール、カルト宗教などの問題は
サタン的な世界から自分を引き離して精神的な生の世界を感じたいと
言う人間の欲求である。コンピューターゲームでは
高度なテクノロジーによって夢の世界へと導かれつつ
ヴァーチャルな世界にのめりこむ事で現実感覚が狂うことがある。
言ってみればサタンとディアボロスが共に働いている姿である。

1960年頃からニューエッジと呼ばれる
精神世界を求める運動が盛んになった。
実に多くの新興宗教が現れ、中にはカルトと呼ばれる危険なものもあった。
ちなみに新興宗教の全ては危険なのではない。
ただ次の事には気おつけておくべきであろう。

(気おつける事その1)
「特別な力が得られる」とか
「自分がただ一人の救世主である」ディアボロス的に誘惑するもの。

(気おつける事その2)
「祟りがある」とか「破滅が訪れる」と脅すサタン的なもの。

(気おつける事その3)
非常識すぎる格好(あるいは名前)
ちなみに唯物主義の現代ではおかしな事に
知らず知らずの内に悪魔に集団で祈りをささげている事がある。
例えば映画館で大きなスクリーンでホラー映画の(オーメン)や
エクソシスト)、(ディアボロス・悪魔の扉)、(コンスタンティン)等
を大勢の観客で見ている時がそうである。
何故なら映画を見ている観客達はスクリーンに映し出される
悪魔が巻き起こす事件に巻き込まれた人間や
悪魔祓い等の登場人物や敵の悪魔達の行動などを
同じ時間に同じ場所で集団で考えている点でイスラム教の祈りに似ている。
ちなみにイスラム教では神の事を教える点が違っている。

悪魔達は大勢の人間に祈りではなくとも
彼らの存在や役割を考えるだけでもより力を増大させる傾向がある。
しかし逆に彼らの存在を否定して役割を拒絶すれば
増大した力はあっという間に低下して弱体化して何も出来なくなる。
その為、悪魔の存在を否定する事であるいは頭の中から追い払ったり、
その悪魔の存在そのものを殺すことが可能である。
とはいっても商売や多くのファンが持つ恐ろしくも愛すべきキャラクターとしての
存在理由として人々心に定着してしまった存在はそう簡単には殺せないが。
(例えばかぼちゃお化け、ジェイソンやチャッキー、パンプキンヘッド、パズズ等)

だからこそ自分がどんな事を思い、何に心を向けているのか?
現代の我々個人として判断していくべきなのである。

これでオカルト的な勉強は終了します。
ではお休み中に悪魔に身体を乗っ取られぬようお気おつけて♪♪